2008年9月15日月曜日

9/16 Today モース、貝塚を掘る……本邦初の考古学的発掘

明治10年(1877)のこの日、エドワード・モース(Edward Sylvester Morse) は大森駅近くの貝塚を発掘。これは彼がその年6月来日の際、横浜から東京まで乗った汽車の窓から見つけたものだが、この日まで掘る時間がなかった。翌月の10月にかけて、石器、骨角器、獣骨、人骨が、ざっくざっくと掘り出される。日本にも石器時代から人が住んでいたことが確認された。

エドワード・S・モース - Wikipedia: "1877年(明治10年)6月来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝殻が積み重なっているのを見て貝塚であることに気付いた。それが大森貝塚の発見であった。同年10月に東京大学の学生(松浦佐用彦、佐々木忠次郎)等とともにこの貝塚を発掘した。その発掘の成果は、1879年に“Shell Mounds of Omori”の書名で発掘報告書が刊行された。その書の中で、日本列島において石器時代が存在したことを立証するとともに、貝塚から出土した土器に縄目文様が付いていることに注目し、“cord marked pottery”と呼んだ。"
日本の歴史は、古くて立派なのだと、当初、日本人は大喜びした。

でも、モースは、けしからんことに、当時は食人の習慣があったと推定してしまった:

エドワード・S・モース - Wikipedia: "1878年(明治11)6月30日、東京浅草の井生村楼(いぶむらろう)で500人を超える聴衆を集めて“大森村にて発見せし前世界古器物”というテーマで公開講演をした。考古学概要とトムセンの三時代区分法を初めて紹介する一方で、大森貝塚で出土した人骨に傷があったことから、「かつての日本には食人風習が存在した」と主張した。"

失望したニッポンイストたちは強烈に反発した(どうもこういうテーマは北海道のアイヌ研究でもタブーのようだ)。

しかし、余りこういうテーマにナショナリズムを持ち込まない方がいい。ニッポン土着の風習とそれと近代社会との確執を描いた「ひかりごけ」(武田泰淳)は名作:


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あるがままの事実を見ることから、すべての科学は始まるのである。

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

食物連鎖の頂点に立つ人間には「毒」も凝縮蓄積されているので食べてはいけない。
これ以外には法的・宗教的・倫理的・感情論的に「いけない事」とする理由は無いとおもいます。
「ヒカリゴケ」「アンデスの聖餐」は極限状態の中での出来事なので仕方がないのでしょう。しかし皇軍同士が食べるために殺し合ったり、敵兵を食べてしまうのは倫理的に問題があると思います。